ダンスが何処からやってきたのかを始まりから辿ろうとすると、それはそのまま「人はどこからやってきたのか」まで行きついてしまい、そうなるともう「遺伝子的にアフリカ起源でしょ。」とか「あらゆるところで多発的に人類が誕生して淘汰されたのでは?」とかキリが無いけど、そういう妄想は楽しくて、「白人はアルビノが集まった部落から発展してきたんじゃないの?」「いや白人は白変種でしょ」「黒人がメラニズムなんじゃない?」「黄色人種は、色が混ざったの?薄まったの?濃くなったの?」って色々考えられて・・・妄想の世界へ飛んでしまう夏の日の荘司です。こんにちは。
まずは今日の一曲
この「リュート」という楽器はギターの原型です。カッコイイよね。
(この楽器を初めて知ったのは「からくりサーカス」というマンガでした。結構壮大で面白いので、暇があったら漫画喫茶ででも読んでみて下さい。)
さてさて、
元々ダンスは、民族のお祭りから始っていたのは間違いありません。
いわゆるフォークダンスです。
なぜそれまでは発展しなかったかというと・・・
西ローマ帝国が滅んでから、スコラ哲学が隆盛を向かえ、
それまでのエジプト、ギリシャ、ローマなどの知識や文化は排斥されていきます。
文化は停滞し、十字軍によるイスラム世界との長い戦いの時代に入ります。
(ゴシック建築の時代です。)
宗教的なお話は、なるべく控えたいので、この辺で終わります。
さらにモンゴル帝国による進行や、ペストの大流行での人口半減により、それまでの荘園制度も崩れていったのが歴史的転機となり、
ルネサンス期がやってきます。
ローマ時代の知恵はイスラム世界に残存しており、イタリアから再発信され、華やかな時代が到来します。
(14世紀の日本は鎌倉時代後期)
ルネサンス時代に入ると、民族舞踊を支配階級の貴族が宮廷様式にして舞踏になっていったのですが、初期の物はフランスでは「ブランル」と呼ばれていました。
時折、跳ねる動作を伴う陽気な踊りです。
ブランル(これは輪になっていますが、向かい合って踊るものもあります。)
サルタレッラ
これを見比べると、やはりイタリア人の方が陽気なものを好みますよね。
その後、舞曲の世紀とも呼ばれる16世紀に、低い滑るような足の運びのバス・ダンス、パバーヌ、五つのステップを基本とするガイヤルド、パバーヌに似て軽快な2拍子のパッサメッゾといった舞踏が生まれました。
ステップを克明に記した舞踏譜も出版されました。
そのころのダンス教師は、小さな竪琴や弦楽器を弾きながらレッスンしていたようで、音楽家でなければ、なれない職業だったのです。
その他にもガルーベと呼ばれる小さな縦笛やタンブランと呼ばれる太鼓も使われていたようです。
というところで、次回に続きます。