こんにちは!
Jumbo三宅(@sato_ds_hkosk)です。
今回のテーマは「もうひとり自分がいたら」です。
漫画などでも自分の分身を作ってみたいな話は
出てきます。
今日は自分がもうひとりいたら
何が起こるか?
自分ならどうしたいかを
真剣に考えてみます。
自分がもうひとりいるとは?
まず自分がもうひとりいるとは
どういう状態でしょうか?
考えられる可能性は
3つくらいあると思います。
ひとつずつ考えてみます。
(1)分身の術〜本当はひとりだけど2人に見える
まず忍者などが使う分身の術の場合
どうやって分身するかは別にして
基本的にはひとりのことが多いように見えます。
そのためひとりは勉強して1人は遊ぶみたいしても
結局は自分でやっているので
あまり意味はないかもしれません。
幸恵先生みたいに拍手しながら
ビデオも撮りたいとかあら
超役立つかもしれません。
でも素早く動くので2倍以上疲れそうな気がします。
(2)影武者〜そっくりだけど別の人を雇う
次に考えられるのは影武者を
雇うということです。
こうすれば影武者に仕事をさせて
自分は遊びに行くということもできるかもしれません。
ただ普通に考えるとその人(=影武者)を雇うことになるので
コストがかかりそうです。
その分仕事量が増えないと行けないので
結果的に時間はなって遊びにも行けなそうです。
というかダンスならもうひとり自分がいるわけではなくても
ただ人を雇えばいいので逆に解決してしまいそうです。
(3)クローン人間〜全く自分と同じ人間を作る
最後の可能性はクローン人間です。
クローンとは遺伝子レベルで全く同じ人間を作るということです。
一卵性双生児もある意味クローンと同じ状態です。
でも彼らは遺伝子が同じでも、個別に人格があります。
そのためクローンではありません。
また倫理的な面からもクローン人間は
作ることが禁じられているので
実現は難しそうです。
ただ何らかの方法でクローン人間を作ることに
成功したらどうなるのでしょうか。
まずもうひとりの自分が欲しいと言った時には
かならず自分が主で、もう1人の自分が従という関係が
前提になっているように感じます。
つまり自分の言うことをもうひとりの自分が
必ず聞いてくれると言うことです。
このときにいちばん問題になるのは
「どちらが『本当の自分』で、どちらが『もうひとりの自分』なのか?」
です。
最初にいたオリジナル(=本当の自分)は
わかると思います。
もうひとりの自分には記憶があるかどうかにもかかっていますが、
もし記憶もコピーされていたら区別できなくなります。
たぶん相手(=もうひとりの自分)も
自分がオリジナルだと主張してくるでしょう。
お互いが尊重しあって仕事も半分
遊びも半分ずつするならばそれも悪くないと思います。
でもふたりに分かれてからは
当然違う人生を歩むので
記憶のずれも出てくるし
もうひとりの自分にも自我が発生してくると思います。
と考えるともうひとりの自分を想像するだけでも
やばいことになってきてしまうと言う
訳のわからない結論が導かれそうです。
ドッペルゲンガーもやばい
ドッペルゲンガーとは
自分にそっくりな人が世界に3人いて
その人に出会うと死んでしまうと言う
うそかほんとか笑かない話です。
ドッペルゲンガー現象というのは
山の上で起きる自然現象の一つで
不思議な現象ですが、実際におきます。
もしもうひとりの自分が隣にいたら
その瞬間に死んでしまうのではと思うと
やはり自分は1人でいいかなと思ってしまう今日この頃です。
ひとつだけあるやってみたいこと
でもそんな条件(どんな条件?!)が解決されたら
一度だけやってみたいのは
『自分と踊ること』
たぶんめちゃくちゃ踊りにくくて
ショックを受けそうですが、
1回くらいは踊ってみたい気がします。
2回はしないけど。
〜まとめ〜『とりあえず僕自身はひとりで十分』